こんなツイートをしました。
ただ生きているとそれが当たり前に感じるけどきっと何かに生かされてる。
— みずたこ@無職 革命 (@mizutakooo) 2019年8月26日
生まれて地元で育ち結婚して生活していると「ただ存在する」ことがどれだけの基盤の元になりたっているか理解できていないだろう。
役所に行って手続きの多さにびびってます🤣
退職やら引越しやらで何かと役所に通う機会に恵まれその手続きの多さ、複雑さを揶揄したツイートです
これも経験
と捉えた時、何不自由ないテンプレのような理想的な人生を歩んだとしたらきっと経験しないし、知らずに生涯を過ごすといった方が大半だろう
今回の私の経験はかけがえのないものだしそもそも「経験(苦労)は買ってでもしろ」というのは非常に的を得ていて人がそうしないであろう経験をしたことに快感を感じたのも事実だ
【31歳の「生きる」こと】知らず知らず何かに生かされてるってこと
31歳として感じること
世間のイメージとしても31歳は「大人」でしょう。人によっては白髪混じりになっているし若干禿げ始めてくる人もいる。「おっさん」であるかもしれないし、私が思うには
非常に中途半端な年齢
何かを成し遂げて成功するには早すぎるし、いつまでも社会の新人のような振る舞いはもう許されないことも感じる
もちろん個人差はあって、この「なんとなく」の枠からはみ出すものもいるわけですが捉え方や生き方次第で世間からの見え方が随分変化する年齢に思える
31歳は変わりやすい
ということは自分の努力次第で若くも見えるし老け込むこともできる
仕事でできる風に見せることもできるし、社長になって何億も稼ぐこともできる
夢を追うものもいるし
ニート、引きこもりだっている
上を見るときりがないし
下を見てもきりがない
というが
やはり見るべきは
「上」でしょう
たぶん今後の人生をどうするのかの決断を迫られる年齢でもある。ここまで培ってきたものを
いかに活かしていくか。人生に蓋をしてしまうのかまだまだ自由に生きるのか。何かしらの決断を皆この時期にするんだろう
31歳みずたこの決断
私は31歳で会社を辞めてキャリアを捨てた
必要がなかったから
でも自分の中には経験としてしっかり蓄えられている。自分としては決断というほど大げさなものではなかったけど、世間一般的には大それた決断なんだろうし、役所とかに行って手続きや相談をしているとなんだか大げさなことをやってしまっているなと嫌でも感じてしまう
役所で感じた「生かされている」ということ
役所には実に様々な手続きが存在する
「動かない人間」にとってはほとんど必要がないことかもしれない。生まれて親元で生活して地元で働き続ければ、しなくていい手続きはたくさんある。
でもそういう人は気づかない。
「大人」になれば自立して生きていると自他共に思っているのであろうが、その「経験」をしていない人は絶対に気づけないこともある
自分で経験するのと仕組みを「知っている」のとでは絶対に感じることの深さや濃さは違う
このタイミングで
この経験ができてよかった。
いわば予行練習のようなもの。
大人の階段をまた一歩登った感覚。
まとめ
正直この記事を書いているときの私の心境は
「恥ずかしい」
でした
みんな当たり前のように知っていて「何を今更」と言われる事案なのでは。と感じていたからです。だからこんなにもわかりにくくツイートしました
「知らない」は恥ずべきこと
でも知らないことを隠すことはもっと恥ずかしいことだと思ったからです。
31歳にもなってまだそんなことも知らないのかよ。
と言われるかもしれないし思われているかも。
もしあなたが誰かにそんなことを言われても大丈夫。
そうバカにした発言をする人のほとんどは
「経験」していないから
なんとなく知っているだけで
生きている人がほとんど。
「あれ?経験されてましたっけ?」
と聞くと
大抵の人は
「私はないけど、そう聞いたことがあるよ」
と答えます。
そんな人の意見に耳を傾ける必要はないから安心しましょう。
「経験者」の意見にだけ耳を傾けたほうが人生に無駄な時間をかけずにすみますよ
thank you